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東京地方裁判所 昭和30年(ヨ)4777号 決定

申請人 滝沢正樹

被申請人 株式会社読売新聞社

主文

被申請人が昭和三十年九月三十日申請人に対してなした解雇の意思表示の効力を停止する。

被申請人は、申請人に対し昭和三十年十月一日以降本案判決確定に至るまで一カ月金一万三千三十六円の割合による金員を支払え。

申請人その余の申請を却下する。

申請費用は、被申請人の負担とする。

(注、無保証)

理由

第一、申請の趣旨

主文第一及び第二項同旨並びに被申請人は申請人が就労することを妨げてはならないとの裁判を求める。

第二、当裁判所の判断の要旨

一  当事者間に争ない事実

被申請人会社は、新聞事業を目的とする株式会社であり、申請人は、昭和三十年三月一橋大学を卒業したものであるが、昭和二十九年十月及び十一月に行われた被申請人会社の定期入社試験に合格し、昭和三十年三月二十日健康診断を経て、同年四月一日被申請人会社に雇用され、見習社員として勤務していたところ、見習期間満了の日である同年九月三十日就業規則第百三条第三号に規定する「やむを得ない会社の都合によるとき」という理由により解雇の意思表示を受けたものである。

二  解雇の意思表示の効力の停止を求める仮処分申請について

申請人は、右解雇の意思表示は、事実無根のものを理由とし、就業規則の適用を誤つたもので、無効であると主張するから、以下順次疎明により被申請人会社主張の解雇の理由の存否について認定し、これを就業規則に照して、その効力を判断する。

(一)  申請人がその健康上社員として不適格であるという理由について

(1) 解雇の理由

疎明によれば、申請人を含む昭和三十年四月一日採用の見習社員が同年九月末日をもつて見習期間が満了するについて、被申請人会社は、同月七日被申請人会社の指定医たる読売診療所において、これら見習社員について胸部のレントゲン撮影等を行い、健康診断を行つたこと、その結果申請人は、同診療所同月八日附診断書記載のとおり「右肺尖部疑わしき点あり、登用不可」と診断されたこと、申請人は、被申請人会社の指示により同月二十二日再度診療所において血沈検査等を行い、受診したところ、同診療所同月二十六日附診断書記載のとおり、「血沈は前回と変りありませんが、右鎖骨下の陰影のため不可と致します。」と診断されたことが認められる。しかし、当時申請人の肺尖部に疑わしい点があり、または鎖骨下に陰影がある旨の右診断の結果はその余の疎明資料に照し、到底措信し得ないところである。却つて疎明によれば、当時申請人の健康には格別異常なく、新聞記者が激務に服するという事情を考慮に入れても、社員として勤務するのに支障がない状態であつたことが認められる。

(2) 就業規則の適用

被申請人会社の就業規則によれば、大学卒業生で定期入社試験により採用された者は、六カ月の見習期間をおくものとされ(第九十八条)、これを見習社員と呼び、見習期間を経過した社員と区別しているが(第二条)、見習社員も社員と同様に就業規則の適用を受け(第三条)、退職解雇等の人事条項の適用についても、社員と見習社員を区別する旨の規定がない(第八章第三節)。これによつて見れば、被申請人会社が見習社員を解雇する場合、または見習期間満了に際しこれを社員に採用しない旨の意思表示(見習期間満了により雇用契約が当然終了し、社員として改めて雇用しない限り、従業員たる地位を失う旨の規定がないから、その法律的性質は、解雇と異ならない。)をする場合も、社員と別異に取り扱うべきではなく、従つて当該意思表示の効力は、等しく就業規則所定の解雇規定に照して判断すべきものと解する。ところで、前認定によれば、被申請人会社が解雇の理由とする事実は存在しないのであるから、これに就業規則第百三条第三号の規定を適用する余地のないこと明白である。そして、使用者が前記のように就業規則に解雇基準を設けた場合は、その具体的該当事実が何であるかの問題はともかくとして、何らかの解雇理由がなければ解雇しない趣旨に使用者自ら解雇権を制限したものと解すべきであるから、これに該当する事実がなければ、有効に解雇をなし得ないわけであり、従つて本件解雇の意思表示は、就業規則の適用を誤つたもので、無効である。

もつとも被申請人会社としては、右就業規則に「やむを得ない会社の都合によるとき」とあるのは、客観的に疾患のある場合に限らず、疾患を疑うに足る合理的根拠があつて社員として不適格と判定すべき相当の理由ある場合をも含むと主張するようである。そしてレントゲン写真撮影の結果により結核性疾患の有無を適確に診断することは、初期においては困難であり、特にこれを診断する医者の主観によつて結論が左右される虞があること及び新聞記者は、一般企業のそれに比して激務に服さなければならないことは推察されるところである。従つて、被申請人会社としては、従業員の健康状態の判断については、第一次的に指定医である読売診療所の診断の結果に依拠するのは当然であると考える。しかし、かりに同診療所の診断の示すとおり、申請人の肺尖部に疑わしい点があり、かつ鎖骨下に陰影があり、これをもつて医学上結核性疾患が存在するかまたは非活動性結核病巣があり、社員として勤務すれば、活動性の病巣に転化する虞が十分あるものと判断するのが相当であつて申請人が社員として不適格と判定すべき合理的根拠があるとしても、以下に述べるところの理由により、このような事由は就業規則所定の「やむを得ない会社の都合によるとき」に当らないものというべきである。すなわち就業規則によれば、従業員の健康状態に特に留意し、疾病者若しくは身体虚弱者の身分の取扱について詳細な規定を設けている。たとえば、被申請人会社は、会社の指定する医師が行う健康診断に合格した者でなければ雇入れないこととし(第九十八条)、一方従業員の健康増進に必要な施設の充実につとめ(第百七条)、一年に一回以上会社の費用で従業員の健康診断を行い(第百八条)、病気に罹り身体虚弱で保護を必要とする者または健康診断の結果必要と認めた者等を健康要保護者として就業の場所または業務の転換、労働時間の短縮その他従業員の健康保持に必要な措置をとることができ(第百九条)、結核等伝染性疾患の患者等を就業させないことができ(第百十条)、また結核性疾患等疾病による欠勤が一定期間以上に及ぶ者に対しては、期間を定めて休職を命ずることができることになつている(第百条第一号)。これらの規定の存在と就業規則に解雇事由が詳細に規定してあるのにかかわらず(第百三条、第百四条、第百三十二条)、疾病を理由に解雇し得る旨を明記した規定のない事実を綜合して考察すれば、就業規則は、疾病に罹りまたは罹る虞のある従業員に対し、前記のように配置転換、就業禁止、休職等の措置をとることができるが、これらの措置を構じないで、これを理由に直ちに解雇することを許さない趣旨であると解するのが相当であるからである。

(二)  申請人が入社に際し、社員としての適格性に関する重要な経歴を詐称していたという理由について

(1) 解雇の理由たる事実

疎明によれば、申請人が昭和二十九年十一月十八日入社試験に際し提出した身元調査表中思想の欄に「中立よりやや左」と記載したこと及び同年十一月二十六日面接試験において、被申請人会社試験委員の右身元調査表に基く質問に対し、「中立よりやや左とは、普通より進歩的という意味である。在学中学生運動をしたことはない。支持する政党は社会党左派であり、共産党は支持しない。」旨を答えたことが認められる。一方疎明によれば、申請人は、昭和二十八年四月から同年六月までの間、全日本学生新聞連盟の委員長に就任し、また昭和二十九年十一月当時日本共産党一橋大学細胞機関紙マーキュリーの印刷に関与したことが認められる。また右マーキュリーの印刷に関与した事実とその余の疎明を綜合すれば、申請人は少くとも共産主義者の同調者であることが推認される。右認定に反する疎明は措信しない。しかし、申請人が共産党員であり、また昭和二十八年二月昭和薬科大学事件(破壊活動防止法案が国会に提出された当時、同大学新聞がこの賛否に関するアンケートを掲載したところ、大学当局が右記事に不穏箇所があるとして注意を与えたため、同新聞関係学生と大学が対立したことに端を発して、都下各大学新聞関係学生が同大学内で抗議デモを行い、また同大学学生課長を吊し上げた事件)に関連して、全学連関係学生二十数名と共に同大学内で抗議デモを行い、卒先して同大学学生課長を吊し上げる等活溌な学生運動を行つたという理由については、これを認めるに足りる適確な疎明はない。

(2) 就業規則の適用

被申請人は、申請人が重要な経歴を詐称して雇用されたことは、就業規則第百三十二条第七号にいう「不正な方法を用いて、雇入れられたとき」に該当し、懲戒解雇に処しうる場合であるが、特に申請人の将来を考慮し、同規則第百三条第三号の「やむを得ない会社の都合によるとき」に当るものとして、本件解雇の意思表示をしたと主張する。そして、就業規則に被申請人主張のような解雇基準の存することは、疎明により認められるところであり、懲戒解雇は、それ以外の解雇に比して労働者にとつて不利であるから、労働者が不正な方法を用いて雇入れられた場合、これを懲戒解雇に処することなく、同号にいう「やむを得ない会社の都合によるとき」に当るものとして、解雇することは許容されるものと解する。ところで、右にいう「不正な方法を用いて雇入れられたとき」とは、対人的信頼関係を基調として結ばれる雇用契約において、労働者側に契約上の義務を誠実かつ完全に履行し得ないような事情があるのにかかわらず、故意にこの事実を秘して雇用されたような場合、すなわち、労働力の源泉である対人的評価に当つて、社会通念上重要視される事項を詐称して雇用された場合で、しかもその詐称の程度が甚しい場合をいうものと解するのが相当である。これに反し、右の評価と何ら関係のない事項を詐称して雇用された場合または詐称の程度が軽微であつて、右の評価を著しく誤らしめる虞のない場合を含む趣旨と解することはできない。

さて、被申請人会社が左翼的思想の持主を雇用しない方針であることは、疎明により認められるところであり、また新聞記者の有する思想信条は、記事の選択ないし報道に敏感に反映するものであるから、その有する思想信条がその職務の遂行に重大な関係があることは多言を要するまでもない。しかるに、前認定の事実に徴すれば、申請人は、少くとも共産主義者の同調者であるのにもかかわらず、この事実を秘して、被申請人会社に雇用されたものといわなければならない。

しかし、飜つて考えると、申請人が入社試験の際被申請人会社の問に対し、「中立よりやや左」または「支持する政党は社会党左派」と回答することによつて表明した思想と真実有する共産主義者の同調者としての思想との間には、観念的には差異が存するといい得ても、ことは微妙な思想の限界の問題であつて、その両者は社会通念上互に界を接し、左翼的思想の抱懐者であることの表明において著しく相違するものということはできない。このことと、入社試験において、思想について尋ねられたときは、進歩的思想を有することの表明を回避するのが一般的傾向であるという社会事情を併せ考えれば、申請人は前記回答によつて自己の抱懐する左翼的思想を大差なく表明したものというを妨げない。してみれば、右の詐称は、未だもつて申請人の労働力の源泉である人物評価を著しく誤らしめる虞のある重要な事項に関する場合ということはできない。

次に、申請人が全日本学生新聞連盟の委員長に就任し、または日本共産党細胞機関紙の印刷に関与したことが学生運動をしたことに当るとしても、かかることは右にいう重要な前歴に当るものと認めることはできない。

以上の次第で申請人の前認定の行為は、就業規則所定の「不正な方法を用いて雇入れられたとき」または「やむを得ない会社の都合によるとき」に該当しないのであるから、本件解雇の意思表示は、就業規則の適用を誤つたもので無効である。

三  賃金の支払を求める仮処分申請について

前認定のとおり、本件解雇の意思表示は無効であり、申請人と被申請人会社との間には、雇用契約が存在しているものと解するの外なく、疎明によれば、申請人が労務を提供しているにもかかわらず、被申請人会社はその受領を拒否しているのであり、その就労拒否は被申請人会社の過失によることが認められるから、被申請人会社は、申請人に対し賃金を支払う義務がある。そして疎明によれば、本件解雇当時申請人の賃金は一カ月少くとも金一万三千三十六円以上であつたこと、昭和三十年十月以降賃金の支払を受けていないこと、申請人には父がなく、母と共に申請人の受ける賃金によつて生計を維持していたことが認められるから、右賃金の支払を受けないことは申請人にとつて著しい損害であること明らかである。

四  就労の妨害排除を求める仮処分申請について

雇用契約は、労働者が使用者に対し労務に服することを約し、使用者がこれに対し、報酬を支払うことを約することによつて効力を生ずるものに外ならないから、労務の提供は、労働者が使用者に対して負う義務であつて、労働者が使用者に対して有する権利ではない。従つて、労働者が使用者に対し、就労請求権を有することを前提として、就労妨害排除を求める本件仮処分申請は、本案請求権の疎明がないことに帰し、不適法として却下を免れない。

五  結論

右一及び二によつて明らかなとおり、本件解雇の意思表示が無効であるのにかかわらず、これが有効として取り扱われ、申請人が従業員たる地位を否定され、かつ賃金の支払を受けないことは、申請人にとつて著しい損害であるから、解雇の意思表示の効力停止及び賃金支払を求める仮処分申請は理由がある。よつて本件仮処分申請中右の部分を正当として認容し、就労の妨害排除を求める部分を不適法として却下することとし、申請費用の負担について民事訴訟法第九十二条但書を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 西川美数 岩村弘雄 三好達)

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